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starnet -recode- にて 2025冬| 生井亮司さん「静寂と光、そして祈ること」 [2]
2025年12月7日、益子starnet recodeでの生井亮司さんの展示「静寂と光、そして祈ること」が終了しました。 霜降る季節のrecodeはひときわしんとした空気があります。 その静けさにひびく揺らぎに、あたたまる場があったように思います。 この場に宿る記憶の層を想うと、入口の番台に坐る、見えない番頭さんのおかげさまを思います。 やわらかな光をうける、静かなお陰のおかげさまを思います。 今日の日も、場を継ぐみなさまのおかげさまを思います。 最後の週末には京都より西平直(にしひらただし)さんをお迎えして、対談の場が開かれました。 この日のお話は、益子に向かうお二人の道中にはじまっていて、その道中はこれまで交わされてきた続きにあって、今も、その続きを交わされていることと思います。 気の遠くなるような手間と時間をかけた工程を経て、生井さんの彫像はある輪郭に納められ、ひとつの彫刻作品が生まれます。生井さんの中には、次の彫刻へと向かわれる '問い' と 'その応答' が既にはじまっているようにも感じました。 何をもっては様々でありながら、いまここ
6 日前
starnet -recode- にて 2025冬| 生井亮司さん「静寂と光、そして祈ること」 [1]
栃木県益子町にstarnetという場所があります。 約30年前、東京を離れ、益子に移り住んだ馬場浩史さんが、日々の暮らしと縁を重ねて創られてきた場所です。2012年に馬場さんが、その数年後に奥さまの和子さんがご逝去された後も、馬場さんの傍にいらした方々と、遠く近くより存続を望む人の手をわたり、今も場は継がれています。 starnetが生まれた1998年、私は十代後半で、ひとつの節目を迎えていました。節目は想像以上にながらく続き、節目というより、十年続くひとつの章であったと思います。先ゆきの分からない道半ば 、ご縁のある方々から「ぜひここに行ってみて。馬場さんという人に会ってみて。」と、人生の先輩方がメッセージをくれました。二十代後半のことでした。 当時の私は、思い立って出掛けられる身ではなく、情報が極力抑えられた、真っ白に近いstarnetのWebサイトを時折り訪ね、そこにあろう場と、そこに暮らして生きるひとびとを想っていました。姿は見えないままに、存在は私にとって確かな '支え' でした。 さらに幾年もの年月を経て、新たな節目を迎える頃、sta
11月23日
本をつくりました
本をつくることについて、お声を掛けてくださった方がいました。 武蔵野の水辺を歩き、幾層かの対話をしました。 「これまで撮ってきた写真とありのままの言葉で 一つの世界にまとめてはいかがでしょうか。 この世の誰かとのあいだの橋になりそうな気がします。 もし、その気持ちが少しでもあれば、お手伝いします。」 とお話くださいました。 迷いなく「つくります」と応えた自分は不思議でした。 私にとって写真は撮る瞬間のことで、 撮ったものを見ないこともよくあって 過去の多くは数年前に消えていました。 手元の写真を眺めて彷徨う時間は、降りてゆくことでした。 半年を経て、応答 を重ねるうちに一冊に成っていきました。 ひとりでは輪郭を得られませんでした。 * 協働くださったのは、雑誌『風の旅人』の編集長の佐伯剛さんでした。 本をつくるお手伝いをすることもまた、 自分にとって「橋をかける」ことだと辛抱づよく伴走くださいました。 本のタイトルの「道すがら」は、私の言葉と写真を受けて、 荘子の言葉「逍遥遊」 から抽出くださいました。 逍遥遊(しょうようゆう
5月20日
poster制作・翻訳|観想研究センター
科学と仏教が同居する森羅万象のあらはれに、経典の音をきく。 仏の響きをはこぶ文字と音の連なりは、然なる理を宿して万物を巡り続ける。 儚くも壮大な慈悲のふるまいが ミクロとマクロを往来する絵筆によって描かれます。 * 慶應大学 観想研究センター主催イベント「悟りを描く ––...
4月14日
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